インドネシアで大増殖中の“ピシュケリキ”とは?


 “ゴプニク”という単語を聞いたことがあるだろうか?

 ゴプニクとはソ連時代に誕生し、今にもロシアに根強く残る、はっきり言ってしまえばヤンキーの事を指す。

 彼らは長袖のラインの入ったアディダスしか着ず、ウォッカを片手にハードバスをかけてスラヴなダンスを踊りまくる…。そんなロシアが世界に誇るディープなゴプニク文化が、インドネシアにも大きな波を起こしている。

 俗に“ピシュケリキ(pishkeriki)”と呼ばれる、ゴプニクの影響を受けたディープ文化が花開いたのだ。スラヴ調の妙にリズム感のあり過ぎる曲を流し、酒の代わりにカフェインが多量に含まれるピシュケリキ御用達のエナジードリンク“TINGGIIIIIIII”を片手に、少々コサックダンス風にアレンジされた独自のダンスを踊りまくる…。


なぜ、極北ロシアの文化がインドネシアに伝わったのだろうか…。

 前進共和党が掲げる“強いインドネシア構想”の四本の矢の一つに、一年前にドゴロニデ政権が五本目の矢として“大文科躍進(lompatan jauh ilmu dan budaya ke depan、通称:lojidabukeロジダブケ)”を掲げ、科学技術と芸術・文化に対する大々的な支援を国家単位で宣言した。

 それで大いに盛り上がったのは演劇業界だ。

 南ジャカルタの演劇街道と呼ばれる劇場が連なる通りの事実上の支配者である南ジャカルタ劇場劇団会議は大文科躍進政策可決後、「アジアのブロードウェイを目指す」と宣言し、政府からの潤沢な資金を利用して世界中から演出家、音楽家、脚本家、役者をかき集めた。

 そして、雇われたロシア人脚本家のウラジーミル・ズヴィグニェフ氏によって書き上げられた祖国ロシアの不良の姿を描いた喜劇“サイケな奴ら(orang-o' psikedelik)”がインドネシア芸能史上稀に見る大ヒットとなった。

サイケな奴らのポスター


これに影響を受けた若者は山ほどいた。

 服屋からはアディダスのライン入りジャージが一瞬でなくなり、ゴプニクのマネをする若者はいつしか、題名にもなっているサイケデリックを意味する“psikedelik”をロシアっぽく省略したピシュケリキと呼ばれるようになった。そして彼らは最大の問題に直面する。イスラム教徒の多いインドネシアではゴプニクの代名詞ともいえる酒をほぼ売っておらず、彼ら自身もイスラムの宗教上飲酒が出来ない者がほとんどだった。

 酒の代わりに麻薬に手を出す者も少なからずいたが、

「サツの世話になんのは全っ然チーキ・ブリーチ(ロシア語でなんとかなるの意)じゃねぇ!!酒は合法だからええんやろが!!その精神忘れた野郎はゴプニクやめちまえ!!!スーカ・ブリャーチ(ロシア語でFa○k you)!!!」

というセリフに触発されて、その数は少なかった。

 そこで彼らは合法麻薬と呼ばれていた、上述のインドネシア国内最多量のカフェイン含有エナジードリンク“TINGGIIIIIIII”をウォッカの代わりにした。


 ドゴロニデの産物と呼ばれる彼らの出現には、ドゴロニデ首相が最も驚いているという。

「まさかあんな形で、あんな短期間で独自の文化を形成するとは思わなかった。南ジャカルタがアジアのブロードウェイになる第一歩じゃないかな。カフェインの摂りすぎには気を付けてね。今度見に行く。」

と語っている。

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