今回は首相独占インタビューという事で、出来るだけ政治的な話題を排除して、意外と触れられることの無いドゴロニデ首相の半生に迫って行こうと思う。
記者(以下記)「こんにちは」
ドゴロニデ首相(以下ド)「こんにちは」
記「本日はよろしくお願いします。」
ド「よろしくお願いします。珍しいですね。政治要素排除のインタビューなんて(笑)」
記「(笑)。今日は首相の半生に迫りたく思います。先日、首相の愛犬であるムスタファが死んでしまった際に、少々のスランプの過去などが浮き彫りとなりましたが、著書にある“神にも仏にも見捨てられた少年時代、私の前世は人でも殺したのだろうか?”の一節以外は、政治家以前の半生はほとんど明かされていません。ぜひお伺いしたく…。」
ド「思い出したくないなぁ(笑)。そうですね。皆さんご存知の通り、私はパレンバンの裕福な商人の家の兄弟の長男として生まれました。しかし…何歳だったでしょうか?よく覚えていないくらい幼い頃に商売で大失敗したのか、父親が首を括りました。」
記「え?」
ド「いきなりきつい事言いましたね(笑)。いや、笑いごとでもないか(笑)。」
記「(苦笑)。どんなお父様でしたか?」
ド「う~ん…。もう覚えてないですねぇ…。その後すぐ母親が病気で死にました。元々ガンだったらしいです。母の事もそんなに覚えていません。亡くなる間際にすごい謝ってました。裕福な家もあっという間に落ちぶれ、家は差し押さえられ、私達兄弟はストリートチルドレンになりました。」
記「先程から兄弟が出てきてますが…。兄弟おられましたっけ?」
ド「あっ、言ってませんでしたっけ?弟の名前はラッタと言います。後で出て来るので今はまだ深く語りません。路上生活をする中で、私とラッタは生ごみや腐ったネズミの死骸を食い漁りながら、“将来は大きな茶畑を持つ!兄ちゃんは?”、“俺は本屋になる!”と夢を語り合ったものです。ラッタは私と違って、細く背の低い、かわいらしい女の子みたいなきれいな肌した子供でした。男ですけどね(笑)。」
記「(笑)」
記「路上生活はいつ頃まで続けたんですか?」
ド「半年くらいですかね?兄弟で道を歩いていると、輩に絡まれました。ボコボコにされている所をパレンバンで柔道教室を開いている日本人の城戸先生に助けられました。城戸先生は独立戦争時にインドネシアに残った大日本帝国の軍人の一人で、すごく強かったです。ゴロツキは逃げていきました(笑)。すぐにボロボロの身なりをしている私達を病院へ連れて行った所、体内から寄生虫が出てきてたそうです(笑)。」
記「ネズミの死骸とか食べてましたもんね…。」
ド「そのまま城戸先生が道場に住んで良いと言ってくれたので、喜んで住まわせてもらうことになりました。自分の子でもないのに、学校まで行かせてもらえる様になりました。」
記「なので柔道をやっているのですね?」
ド「そうですね。城戸先生に出会ってなかったら兄弟とも飢え死にか身売りに遭ってたかもしれません。あの時輩にボコボコにされてなかったら、こんなことにはなって無かったと思うので、そういう意味ではあのゴロツキにも感謝ですね(笑)。」
記「学校生活はどうでしたか?」
ド「学校生活は大学まで順調でした。小中学校ではものすごく努力して、必死に字を覚えました。小学校ではやんちゃだったので、私の成績はひどいものでしたが、弟は真面目でおとなしく頭も良かったので成績は優秀でした。中学校では私も弟並みになり、神童兄弟でしたがね(笑)。両親が仏教徒だったので、日本人の城戸先生に漢字や中国古典・日本文学を教えて頂き、中学校で東洋文学に興味を持つようになりました。弟は理数系に興味持ってましたね。」
記「その頃の将来の夢ってなんだったんですか?」
ド「相変わらずです(笑)。私は本屋、弟は茶畑です。ただ、弟の方は”茶の木の生態を調べる植物学者になって世界一の茶を開発して栽培する!”って感じでちょっと間に入って来てましたがね。」
記「文学に興味を持っているという事は、本とか読まれましたか?」
ド「そりゃあもうたくさん読みました。城戸先生に毎月もらう小遣いを全部本に注ぎ込みましたからね。城戸先生に“本は財産だ。一生かけて自分の中で最高の本や詩を選べ。そして選んだその本は、例え家がなくなっても一生守り抜け。”や、“人間は音楽、美術、詩・文学以外千年の後に価値のあるものを遺せない”と何度も教わりましたから。」
記「それは見つかりましたか?」
ド「まだ見つかっていません。大学時代に見た中国の詩経、日本の徒然草という本、仏教の漢語訳般若心経…とかですかね。”この中に祖国が入って無いじゃないか!”という人も居そうですがね(笑)。」
記「どうしてその本が好きなんですか?」
ド「詩経は中国・中国人が出来る前の時代、二千年の昔からの最高峰の古代中国の詩を集めた詩集なんです。平和な自然の雰囲気が揚々とした詩に表されてて、心に想わせる事が出来ます。日本の徒然草は九百年くらい前に書かれた随筆で、個人的に世界を代表する傑作だと思います。様々な微笑ましい日常の出来事から、人生の教訓や道標を教えてくれます。般若心経はインドやチベット、そして祖国インドネシアでも、多くの仏教徒に親しまれていますが、やはり一番奥が深いのは漢語訳ですかね。たった二百文字強で人生の本質や"空"の精神に迫っています。宣伝みたいですが、その辺は市長時代に書いた私の著書(※)を参考に…。」
※“文学市長、詩経(shi-jiang)を語る”、“文学市長、随筆・徒然草(turezure-gusa)を語る”、“文学市長、仏教経典を語る”のこと。
記「東洋古典文学ばかりですね(笑)」
ド「東洋文学科ですからね(笑)。アラビア文学やペルシャ文学なども読んでみたいものです。大分話がそれてしまいましたね(笑)。確か、中学まで語ったので…次は高校ですね。高校でも相変わらず弟は女の子みたいに綺麗な肌で、頭がよく、華奢なイケメンでしたね。すごいモテてました。私はというと少々やんちゃしてましたね。欠点を何枚か取りました(笑)。でも、二年生で本気を出して猛勉強して学年一位の弟に並び、またも神童兄弟となりました(笑)。」
記「下世話ですが、首相はモテてましたか?」
ド「モテてましたよ(笑)。人生初の彼女も出来ました。」
記「学校生活は本当に順調ですね。救われたのでしょうか。」
ド「そうでもないんですよね…。確かに大学までは順調でした。」
記「大学は国内最高峰のガジャ・マダ大学ですよね?」
ド「そうです。たまたまクラス替えしても三年間担任だった高校のアブデュル先生と城戸先生と一緒に兄弟で合格発表を見に行きました。私は文化学部東洋文学科、弟は生物学部生物学科でした。見事合格した時に四人で抱き合って泣いたのを、今でもよく覚えています。」
記「城戸先生も、青春を付き添ったアブデュル先生もさぞ嬉しかったことでしょうね。」
ド「ここで、初めて柔道道場から出て一人暮らしを始めました。大学時代は何事もなく、順調に仲間と楽しく過ごし、無事卒業論文や国家統一卒業試験を通過し、晴れて卒業しました。」
記「楽しかった学生生活が終わってしまいましたね…。」
ド「私は卒業し、ジャカルタの某企業に就職しました。あんまり名前を出さない方がいいですよね(笑)。そこがものすごい企業でした。まるで日本人の様に働かされました。当時の日本人はそれでも給料が高かったからやってこれてたそうですが、私の所は驚くほどの低賃金でした。毎日罵倒され、精神をすり減らしていました。大学で出会った知り合いの日本人にすらドン引きされましたよ(笑)。一方弟はジョグジャカルタの国立植物研究所で茶の研究をし始めてました。今はガジャ・マダ大学に併合されましたが。」
記「あの日本人に引かれるとは相当ですね(笑)。この企業が地獄だったんですか?」
ド「いや、違います。自殺したんです。弟が。」
記「え?」
ド「はい…。うっかりしたミスで一つのサンプル棚とよく分からない大きな機械を壊したそうです。国立研究所なので、それは税金で賄われており、各方面から非難轟々でした。当時の公正人民党のウェカ政権高官からもグチグチ言われてたみたいで、官民一体となっていじめ抜かれ、それで精神を病んで26歳で首を括りました。一緒に生ごみやネズミの死骸食べた兄弟だったんですがね…。」
記「その話聞いたことあります。まさかラッタって同名の方かと思ったけど、首相の弟さんだったとは…。城戸先生はどういう反応を見せてましたか?」
ド「泣き崩れてましたね…。そして私の精神はことごとくやられましたね。ただでさえ精神をすり減らしていたのに、私がうつになりかけてました。そして城戸先生に、こんな会社さっさと辞めろと説得され、その会社を辞めました。」
記「この出来事が政治家を志す原因ですか?」
ド「そうですね。"機械一つで人の命を奪うまで叩き続ける程この国には金がないのか?貧しいのか?"という疑問から始まり、そこからこの国の様々な問題が浮き上がり、貧しい世の中を変えてやるという意思が芽生え、政治の道を志しました。」
記「確かに、首相の政策には科学技術や文化の振興の政策がありますね。今日は政治抜きだった(笑)。」
ド「(笑)」
記「どうやって政治の道に入ったのですか?」
ド「かつて富豪だった父親の知り合いの、国会議員と強いつながりを持つ当時のパガー・アラム市のシパ市長に人脈を広げてもらったり、援助を受けたりして、故郷のパレンバン市長に当選することが出来ました。28か9くらいだったと思います。政治家になってから、今の妻とも出会いました。」
記「壮絶でしたね。政治家になるまで…。」
ド「そうですね…。今、私の血族は子供を除いて一人もいませんから。」
記「少々話がずれると思うのですが、あなたは政治家を辞めるつもりはありますか?悪い意味や皮肉の意味は全くなく、年を取っての隠居生活をする予定があるのかな…と。」
ド「どうですかね…。最近も過労で倒れましたし、あの日本人に引かれた企業の精神がまだ残ってるんですかね(笑)。だから、もしかしたら職務中に死ぬかもしれません。だけど、もし叶うならば、あと一期首相に当選すれば引退を考えています。71くらいですかね。2だっけ?私は計算が出来ないんですよ(笑)。高校で欠点を取ったのも数学でしたし(笑)。」
記「文化学部ですからね(笑)。隠居後は何をなさる予定ですか?」
ド「そうですね…。やっぱり茶畑や本屋をやろうと思ってます。」
記「茶畑ですか…。兄弟の夢でしたね。」
ド「そうですね…。」
記「首相はたしか2015年にパレンバン郊外に土地を購入なされましたね?あれが茶畑の予定地ですか?」
ド「そうですね。あそこはかつて、私達家族が住んでいた所です。今は差し押さえられた家も何もない林になっていますが、いずれ切り開いて茶畑にします。今、その土地には将来本屋となり、また住む家になる建物しかないですが…。」
記「今はその建物はどうなってるんですか?」
ド「書庫になってます。私が今まで読んできた何千、もしかしたら何万の書物がぎっしりです。」
記「なるほど。穏やかな生活ですね…。多少不便かもしれない立地ですが、それこそ人間があるべき姿なんですかね。本屋や茶畑の元手となる資金はどうされるんですか?」
ド「もう貯めてあります。市長時代からコツコツと貯めて、元手資金が5000万ルピアくらいで貯まりました。いい人アピールになってしまうかもしれませんが、元手が貯まってからは給料をほとんど寄付しています。必要ないので…。必要ないものを貪欲に飽きずに、焦って集め続ける事ほど貧しい事はないと思います。」
記「そうなんですか?!給料の件、初めて聞きました。」
ド「あんまり給料事情を票集めとかに使いたくないのでね。」
記「ホセ・ムヒカ氏の様ですね。私にはできそうにありません。悟った人格者ですね…。」
ド「そんなものではありませんよ。嫌な気はしませんけど(笑)。最悪一文無しになっても、我が国は温暖ですから、少し森に入れば食料の木の実があるから飢え死にはしませんよ。私の少年時代も木の実を食べてました。冬にはゴミでしたが…。」
記「なぜ、今までご自身の過去を明かしてこなかったのですか?」
ド「あまり自分の暗い過去なんて、人に言いたくないものですよ(笑)。話す度に辛くなるし…。あなただってそういうことあるでしょう?」
記「なるほど。そう言われるとよく気持ちが分かります(笑)。」
記「そういえば首相は城戸先生とトルコのアタテュルクを尊敬してらっしゃるそうですね。城戸先生は分かりましたが、アタテュルクはどこで知りましたか?」
ド「アタテュルク先生は…そうですね。確か、高校の世界史の授業で習いました。図書館で調べてみると、ものすごい方だと分かりました。政治家を志してからは最も尊敬する人物となりました。関係無いですけど、アタテュルク先生ってすごいイケメンでかっこよくないですか?若いころはイケメンで、年を取ってシワが出来てからはタバコ咥えて渋い雰囲気になってて…あういう年の取り方をしたいですね…。」
記「最後に、国民に向けて何かメッセージがありますか?」
ド「私達の様な家族、私の弟の様な方、私達兄弟の様な方を一人でも減らしながら、祖国の問題を解決し、強くするのが私の目標です。温暖でほんわかした環境で、どうか心やすらかな日々をお過ごし下さい。」
ド「決まりましたね(笑)。この内容で本や映画が出来そうですね(笑)。」
記「かっこよかったです(笑)。もし本当に映画出来たら見に行きます。本日は貴重なお話どうもありがとうございました。」
ド「書籍の方もいかがですか?(笑)。ありがとうございました。」
記「本も買いますよ(笑)。」
インタビュー後記 記者・後記著:スンサル・ペロシ
今日は色々と衝撃の事実を知った。あんなに気さくな印象の首相がこんなに大きく暗い過去を持っていたとは…。某政党は首相の人格を徹底的に否定しているが、おそらくそんなものは首相に効果はないだろう。誰よりも貧困層の苦しみを知っているからこそ、本気で国民を良くしようと尽力しているのだと知った。
彼の政治をこれからも期待したいと思う反面、悪意無しで逆に早く引退して、自分の為の穏やかな日々を過ごしてほしいと願ってしまう。この事実を国民に公開した時、彼はもう一期首相をする事は確実だろう。彼には今までどれだけ叩いても汚いスキャンダルが出てくることは無かった。
もし、彼がもう一期無事に勤め上げた後に政治家を辞める日が来るとすれば、心からお疲れ様でしたと言ってあげたいと思った。
コンパス・ジャカルタ紙日本語版
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